江戸あれこれ 13

     下り物

 江戸時代、将軍の居所が江戸であるし、政治の中心は江戸であった。しかし、他でも述べたように明暦の大火までは、文化の中心は全く以って上方であった。
江戸から京へ行くことを上る、逆は下るである。そこで、上方から江戸に送られてくる文物を「下り物」という。どのようなものであっても、江戸では「下り物」は高級品扱いされた。その典型が酒であった。
酒は、関東でもつくられていたが、池田や伊丹、伏見や灘など上方の酒は技術がすぐれており上質の酒がつくられていた。とくに日本一の酒どころと称されるのが灘と伏見だ。灘、伏見に共通していえるのは、良質の醸造用水に恵まれていたことである。灘の生一本などという語は今に生きているほどである。
これらの酒が樽廻船に積み込まれて江戸へと運ばれた。そして、この「下り酒」は波に揺られながら運ばれるため味がまろやかになると、更に評判になる。
文化年間(1804〜17)に、大坂で一升百六十四文(約四千円)だった酒が江戸に運ばれると二百文(約五千円)から二百四十文(約六千円)にもなった。
そのほかには、瀬戸内海ものの塩も「下り塩」として高級扱いされた。
醤油も「下り醤油」が江戸で消費する7〜8割を占めていた。関東産の醤油が四十五文から六十文であったのに対して「下り醤油」は七十文から百八文と高価であった。
そのほか、呉服・菓子、日用雑貨に至るまで上方からのものは、すべて「下り物」といって珍重された。現在でいえば海外の高級ブランド、少し前でいえば舶来品といった感じであろうか?
 それに比べて、関東でつくられたものは「地回り物」として区別され、「価値が無いもの」「取るに足らないもの」との意味から「下らぬ物」との語が生まれたともいう。
 しかし、江戸も後期になると「地回り物」にも優れたものが品がつくられるようになっていった。


 それにしても、毎年忙しくなる一方であるが、今年の秋は中でも忙しい年のベストいくつかに入る気がする。個々をみると、さほどではないが3月頃からその状態がず〜っと続いていることがそう感じる原因のようだ。
 今も、浮世絵を前に、企画内容のピークに引き続いて、図録のピークが来て...、その後半から解説パネルの波がやって来て...、その最中に予算の山が...まったく、ふぅ〜!である。
 こうなると、暇をみつけて気晴らしをしないと済まなくなる。もたないのである。さて、何をしようか...? 取り敢えず、好きな車で出かけて、馴染みの居酒屋巡りでも...かな?