2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日は、独立行政法人総合地球環境学研究所 http://www.chikyu.ac.jp/index.html からの依頼で「神木聖樹の思想と神像の創造」と 題して講演を行ってきた。 最初に、依頼を受けた時、えっ!地球環境・・・? 何で〜!と思ったが、私の次は鎌田東二氏だという。 …
昨早朝、急に母が身罷った。 少し異例ではあるが、欠けられぬ私の明日の日程のため、 昨日告別式までの一連の行事を行い、本日朝から火葬場へ・・・ 神式で行われた... 静かな葬儀であった... 母は、5年半ほど前にくも膜下出血で倒れ、 残念乍ら本来…
戦後占領政策の中で、日本の真実は歪められ続けてきた。 それに対して違和感を持った日本人は多かったことであろうが、 しかしそれを敢えて進んで受け入れてきた人間も多かった。 戦後は、未曾有の敗戦による空虚・虚脱感の中に置かれていた日本人に対して …
米ソ冷戦体制が構築されていく中で、 当時、わが国にはどちらを選ぶかというような 選択肢は与えられていなかった。 だからと言って、ソ連に着いたほうが言っているわけでは全く無い! ただ、戦後の戦略政策のなかで、すでに選択肢を失わされていたというこ…
アメリカはソビエトに較べればマシ! 戦後の日本人の脳裏を占めた観念の根幹にあった感覚であろう! 憎い国ではあるが、現実問題としてその場では抵抗できるものでも無し、 占領政策の中では、実際にはさして実害も無し、 なおかつギブミーチョコレートに応…
アメリカへのポチ化の淵源は何か? 基本的にわが国を叩いたのはアメリカ軍であったことに 異を唱える人はないであろう。 しかも、占領政策を共産主義者などが後押ししたりしながらも、 結果として共産主義に至らなかったのは、 紛れも無く占領政策が確かに成…
“歴史”にとってさらに不幸であったのは、 戦前の歴史を全否定したいと考えた人間たちがたくさんいた。 そして、その人間たちがかなりの発言力を持っていたのである。 すなわち、それらは大正期から共産主義や社会主義にかぶれていた インテリ、ジャーナリス…
まず最初に、歴史家としては、 戦後“歴史”が独立した科目ではなくなったことに 注目しなければならないであろう。 すなわち、戦後、“歴史”が社会科という科目の一部に組み込まれたのである。 このことは一体何を意味するのだろうか? それよりも、現在このこ…
私が、まだ小学生高学年から中学校にかけての頃、 ときどき耳にしたのが彼の戦争はソビエトに引き込まれたものだという 一部の大人たちの話である。 学校で教える歴史や、一般の大人の話とはまるで違う話に、 いったい、こいつらは何を言っているのだ!とか…
終戦記念日(しゅうせんきねんび)は、太平洋戦線の終結を象徴する 玉音放送が行なわれた8月15日を指す。 しかし、天皇が御前会議での聖断によってポツダム宣言の受諾を決定、連合国に通告したのが8月10日、 ポツダム宣言受諾が確定し受諾の詔勅が8月14日、 …