何が本当なのか 7

 米ソ冷戦体制が構築されていく中で、
当時、わが国にはどちらを選ぶかというような
選択肢は与えられていなかった。

 だからと言って、ソ連に着いたほうが言っているわけでは全く無い!

 ただ、戦後の戦略政策のなかで、すでに選択肢を失わされていたということを知るべきであろう。今の我々の立脚点が、すでにそこにあって選択の自由もなく、一方通行で歩まされてきたのが、戦後政策の占領下でおこなわれてきたということを意識するべきであろう。

 一方、以前に記した「歴史の社会化=社会化へ取り込むという行為」も
同時に進行されていったのである。
このような状況下で歴史観の見直しは先送りされ、
何時かは...と思ってきていた人々も年々失われていって、
今や正しき歴史観とは何かを知る人やそれを嘆く人々すら
稀になってきているのが現状である。
つまり、本来のこの国における国家感を取り戻せるために
物事を考えられる人間が殆どいなくなっていると言うことである!


 アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが書いて
ベストセラーとなった「文明の衝突」を読まれた方は多いであろう。
その中では、冷戦が終わった現代世界においては、文明と文明との衝突が
対立の主要な軸であると述べ、とくに文明と文明が接する
断層線(フオルト・ライン)での紛争が激化しやすいと
将に予見的な指摘がなされた。

 この論によって、日本というものが他国と隔離された、
唯一単一で成立しているただ一つ文明であると特筆された。
その分析に、わが国でもたいへん話題となり、
当時は大きな驚きを以てその分析を受容したことを記憶されている方も
多いことであろうし、
それ自身、当を得た画期的な見方として世界を席巻したものである。

 現在では、このような立場はかなり有力であるが、
中西輝政氏によっての『国民の文明史』http://www.fusosha.co.jp/senden/2003/042759.php
でさらに展開されており、ご存知方も多いことであろう。

 私は京大学派に対しては、ある種の感慨がある。
氏の師匠筋である市村真一先生は、私が若い頃情熱的なお教えを受け、
物事を深い見方で以て考え、本質は何処にあるのか、
などということを常に意識しなけばならないとの念を強く心に植えつけられ方であり、
その後の私の物事に対する考え方の大きな部分を支配した方でもある。
 さらに、氏の直属の師匠である高坂正堯先生は車の趣味という点では
気の合う方で、東京でのテレビ収録の際にはみずから“Z”で往来していた
とは著名な事実であろう。

 中でも、中世史の師匠である上横手先生は、
当時、東大学派の歴史学しか知らなかった私にとって、
京大学派の歴史学のあり方は新鮮な驚きでもあったし、
その後、重源上人を介して私の仕事に関っていただいたこともあり、
もっとも親しくお付き合いをさせていただいた京大学派の方であるが、
この学派の思考の自由さが私は好きである。