何が本当なのか? 3

まず最初に、歴史家としては、
戦後“歴史”が独立した科目ではなくなったことに
注目しなければならないであろう。

すなわち、戦後、“歴史”が社会科という科目の一部に組み込まれたのである。
このことは一体何を意味するのだろうか?
それよりも、現在このことに疑問を持つ人々がどれだけいるだろうか?

 世界では、今でも算数や国語と同様に“歴史”という科目が
あるのが常識である。
それどころか、わが国では今や日本史は高校の必須科目でもないというのが現状である。
 戦前と同じく、あるいは諸外国と同様に“歴史”として
一つの科目として独立させられていたら、
日本史が必須科目でなくなるなんてことはなかった訳で、
その意味でこの国の“歴史”を社会科の一部に組み込んだという行為は、
それを企図した者の意図をみごとに成功させて、
この国を蝕む目的を十分に達成したと言えるであろう。


 “歴史”の社会科化というものは、戦後占領政策の中で占領軍によって行われた重要な施策であったと言えよう。
 社会科とは、現代社会の成り立ちを教える科目として設定され、
その目的は社会にとって「よき市民を」を育て上げるための科目、
すなわち占領軍にとってよき市民の育成であり、
占領軍が植えつけた戦後のイデオロギーの枠内の中だけで
許容できるもののみを社会科の歴史と称して教えるものとしたのである。

 当時の大人たちは、おかしいと思った人々はいくらもいた筈である。
しかし、「さわらぬ神に・・・」であり、
戦後の荒廃の中から立ち直ることの方が先、日々食べることの方が先であり・・・、
と一時が万事そのような状況にあったのであろう。私の母は、疎開したが、
父は東京に残ったため、私が幼い頃は父と散歩すると、
道端の草のどれが食べられて、どれが美味しいか、何て話をよく聞いた。
そんな状況であったのであろう。


 そして、識者たちとても、いずれ是正すれば・・・との思いであったのであろうが、実際には占領軍の政策はみごとに成功し、今に持続し、わが国はポチ化しているのである。