この国のあり方


 今朝、テレビを点けたら、藤原正彦という人物が出ていた。『国家の品格』の著者である。興味があったが、読んでいないので丁度いい、と見ていた。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101416/249-9078076-6231533

 私の周りの人間であれば耳タコであろうが、小泉の改革を国民あげて称賛しているのはどうしたことだろうか。小泉の改革ではこの国はダメになるのではないだろうか。改革の必要なところには改革は必要である。しかし、改革の名のもとに多く失われてきたものの中には、再び取り返せないものがたくさんあるにちがいない。それらは、日本的社会の中で、永く血肉となってきたものなのである。にもかかわらず、一連の小泉の改革によって失われたものは二度と戻らないものが数多くある。そして、その最たるものは人の心であろう。

 前回の選挙で、私は途中までは、自民が負けると本気で思い心配していたのだが、途中から逆転してしまった。結果は、ご存知の通り全くの逆となった。しかし、今となっては、どちらが良かったのか?

 自民党をぶっ壊すと言いながら、日本社会の良いところをドンドンと壊してきた小泉純一郎。急激に壊してきた。日本の文化などはとても遺していくことなど出来ようもない社会を創り上げている。

 藤原氏は、バブルが終わってから、改革・改革でそうなってきたという。否、そうではない。バブル期、その前からである。すでに、バブル期にはモラルを欠く行為が横行し、結果として銀行や不動産屋などはその報いを被ってきている。
 しかし、そのようなことが横行する前に、すでにモラルの低下は始まっていた。それが、車を切り口にした展覧会を開催した根底にある。(http://www.city.yokkaichi.mie.jp/museum/tenji/

 しかし、小泉の改革は、それ以前のものとは質も速度も違う。彼のリーダーシップは本当にたいしたものだと思う。それだけに、やることは、もっと用意周到に、慎重に行うべきであるが、そういう点には全く頭が回っていないのが最大の欠点であろう。
 竹中平蔵というのが、そもそもの間違いである。彼の改革で、いずれ日本経済は立ち直るであろうが、それでは日本がダメになると言い続けてきた。榊原英資のような優秀な人間がいるのに何故彼を登用しないのか?小泉にとっては、榊原の手法では物足りないのであろう、いや小泉の在任期間中には結果が出ないという彼の都合によるのであろう。結局、竹中も含めて小泉そのものが、そういう人間なのであろう。死んだ父の述作に『道徳的経営の条件』というのがあったのを思い出している...。

 因みに、我が家のヨーキー(ヨークシャテリア)の名前は「チロ」というが、「小泉純いチロう」と「いチロー」に対する期待の表れであった。

 藤原正彦氏は数学者であるが、世間ではこのようなことを書くのが不思議と言われるが、昔、岡潔という数学者も数多くの著書を出しており、岡哲学なるものを展開していた。今みると恐らく受け入れ難い問題点もあろうが、岡潔が「生まれ変わったら数学のような薄っぺらなものは二度とやらない」と豪語していたのが思い出される。岡哲学の求めたものも、それも日本的な美であり、情感であった。日本的なもののあり方の追求であったように記憶している。

 川端康成が、美しい日本の喪失を嘆き、後を託した三島由紀夫の死に絶望して自らの命を絶った。私はまだ、幼かったが、川端のような鋭利な感覚の持ち主には、すでにその頃から社会が狂い始めて見えていたのだろう。今やまさに美しきどころか、日本的社会が全く失われ去ろうとしている。