〔この国の領土〕7

 東西冷戦。もう過去の言葉になってしまったが、実態は今に残っている。
 現在では、ロシア国境警備庁との協力関係が構築されており、
その様相は全く様変わりしてきているが、一時代前にはソ連国境警備隊
海上保安庁とは常に一触即発の状況を継続してきていた。
今では、以前のような深刻な状況は無いが、
密漁船や密輸船との攻防は続いている。
 第二次大戦後、北方四島ソ連により武装占拠され、
島民は強制退去され豊穣な漁場は剥奪された。
 そのような漁民たちに、ソ連によって仕掛けられたワナについて
ご存知の方はどれだけいるであろうか?
 知る人にとっては常識の話であるが、
それはソ連のスパイとなるということである。
つまり、スパイとなって日本側の情報を提供することによって
拿捕を免れるというものであったという。
それらを「レポ船」という。
しかし、漁民では高度な国家機密などの情報は手に
入れられないということは極普通であるが、そのような漁民たちは
当時ソ連では手に入れにくかった家電品やウィスキー、
あるいはドル・日用品などで免除されるようでもあった。
してみると、高校の地理の教師が、
当時では珍しくソ連を旅してきて、
その経験として、夜中になると何でも交換したがってきて、
最期は洗濯した下着まで交換したというのを思い出した。
 しかし、昭和から平成へ移り行く頃から情勢はさらに変化してくる。
ソ連のアフガン侵攻、モスクワオリンピックボイコット・・・
 これらによってレポ船の取り締まりも厳しくなっていった。
 そこで、出てきたのが所謂「特攻船」だ。
小型のFRP船に強力な船外機を、2機搭載し、
高速で走り回り、日々密漁に勤しんでいた。
因みに、特攻船には「暴力団系」と「不良漁民」とがあった。
1隻あたりの1年間の漁獲高は1億円以上になったといわれる。
 これらは、最高潮期で36隻を数えたというが、
ゴルバチョフの来日を機に徹底的に取り締まられて現在では、
いわゆる「勤労やくざ」系のものを僅かに残すのみにのみとなったという。
 ともかくも、恐れられたソ連がロシアと変わり、
武威的恐怖から商売敵へと変遷していった歴史を
我々は目の当たりにしてきたのである。