オーム

 麻原彰晃の刑が確定した。恐らく、今日、web上では、このことに対するコメントが溢れるであろう。麻原彰晃について、思うことはたくさんあるが(仏教についての理解は相当なもので、それで皆が騙された、とか...。その能力を持ちながら、現在判断能力がないなんてわけがない、とか...。etc.)、今はこのことは少し置く事としよう。

 ということで、彼を囲んだ人間たちについてここで纏めておこう。即ち、高学歴の若者たちが、何故あれほどに麻原彰晃のもとに集まったのであろうか?という疑問を当時よく耳にしたからである。

 今の日本、成熟しきった社会の中、如何な優秀な若者といえども、自分が自分に見合うとして満足出来る場が得られる可能性は非常に少ない。優秀な人物であればあるほど納得のいく身の置くべき場が得られないのが現状であろう。彼の若者たちは、それを実現する場がオームだと見出したのではないか。
 私の世代からみれば、戦後の混乱期に地位を得た人達の中には、何で?と思う人たちが沢山いる。団塊の世代の上の世代の更に少し上の世代である。我々の世代ではあり得ないような人たちがそういう職を多く占めていた。混乱期に、どさくさで大学教授になったような人々である。そのような人々が地方には随分いたものである。
 更に、下の彼らから見れは、そんな社会に対する憤懣たるや如何ばかりであったか、想像には難くない。だからといって、犯罪に走って良い訳でもなく、そのようなことになってしまうこと自体が、異常な組織の集団心理ならではのことでなのではあるが...。
 
 しかしながら、最近の凶悪犯罪を見ていると、オームの心理とどれだけの違いがあるのであるかと思ってしまう。それらの犯罪を、狂気の沙汰などと評して理解が出来ないとばかりも言って入られない。直情的な犯罪はまだしも、冷徹な犯罪が多すぎないだろうか?
 あまりにも簡単に人を殺してしまう。
 ヤクザによる殺人事件が増え始めた頃、昔のようにドスを用いた殺人ではなく、拳銃によることが多くなったため、現実感が無くなりゲーム感覚になって気軽に殺せることとなったと評されていたことがある。罪悪感も薄れ、そのような事もありなん?とも思ってみたりもしたものであるが、それに比べて、今の素人の殺人の残虐さ!そこまでやるか!ため息が出る。オームで虐待や殺人をしていた連中とどれだけの違いがあるのであろうか。即ち、今の社会の中の一部?の連中のおかれている状況とオーム構成員の状況がどれだけ変わるのであろうか?

 これらの問題は、結局は、わが国の社会のあり方、その根本的なあり方...ひいては教育も、地域におけるコミュニティのあり方、更には親兄弟のあり方・信仰のあり方(信仰心を持つことのない環境)、感謝のあり方等の精神活動も含めてetc...取り巻く環境によって醸造されるのではないだろうか。
 そして、最終的には、家庭における教育のあり方と親の自覚と責任!に帰するように思う。ごく当たり前に存在し得たそれらの社会的な機能そのものは、当然のことながら、子孫の生き方にまで受け継がれていかなければならないと思ってきたのが、せいぜい我々の世代までではなかろうか?しかも、そういった風潮か当たり前に波及し、蔓延してきている状況を目にするにつけ、背筋が寒くなる思いをするのである。ため息!

 ところで、ここのところ、大変に忙しい。夏に担当の事業があり、その始末をつける暇も無く、秋の事業も私が半分以上(3/4以上?)抱えながら、5種類の助成申請の書類の作製と予算編成の作業を一手に抱え、顎が出てきていながら、それでも今日は書いてみたくなった。
 ただ、楽あれば苦あり!逆も真なり!10/1にはMG1100clubのレイク・ビワミーティングhttp://www.globetown.net/~1100club/EVENT.htmにエントリーしましたし、翌週には最期?のF1inSUZUKA!http://www.suzukacircuit.jp/
 楽しみです!