靖国問題 4

東京裁判

 敗戦の翌年1月19日、ダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官の名で極東国際軍事裁判所条例が承認され、これに基づき行われたのが所謂「東京裁判」である。被告は日本のみで、戦勝11カ国が裁判官となった全く異例中の異例の裁判であった。
 
 しかし、この裁判で唯一アメリカの遺した良心というべきか!? 常に記録を残すという彼らの癖から、この裁判の詳細をモノクロフィルムながら撮影していたのである。
 それをもとに、昭和58年に講談社がその創立70年を記念して製作したのがドキュメンタリー映画東京裁判」なのであった。この映画によって「東京裁判」というものが著しく公正を欠いたものであったかということは一目瞭然であったが、いろいろな意味で評判を呼んだことは事実であるが、時代がまだそこまで至っていなかったのか、意外なほどに影響力を持たなかったように思う。今であればという思い、あるいはすでに事実を知らぬ無知の蔓延することもあり、再上映がなされないかと切望したいと考えるがいかがであろうか。

 裁判長を務めたオーストラリアのウェッブは、はなから天皇を戦犯として血祭りに上げることを意図していたのに対して、アメリカの検事キーナンは占領政策を平和裏に行うため天皇戦犯を阻止すべく臨んでいた。この対立からウェッブはその責を放棄して、途中帰国してしまうこととなった。
 
 ここで特筆しておきたいのは、アメリカという国に度量の深さを示す事実である。このような場に立たされた場合、日本人の中に以下のような正論を正々堂々と発するものがいたであろうか?勿論、占領下という異常事態の中であったから尚更ではあるが...。
 すなわち、アメリカのブレイクニー弁護士は、「戦争での殺人は罪にはならない。それは殺人罪ではない。」それは「戦争が合法だからだ。つまり戦争は合法的な人殺しなのである。たとえそれが嫌悪すべき行為でも犯罪としての責任を問うことは出来ない。」として、さらに核心に迫る。「何の罪と証拠をもって戦争殺人が違法とするのか。原爆を投下した者がいる。その投下を計画して、実行を命じた者がいて、さらにそれを黙認した者がいる。そして、その黙認した側の者がこの東京裁判を裁く側に立っている。」と喝破している。
 いかにも、正論である。しかしながら、裁判長はこれを却下し、記録からも除外してしまっている。
 さらに惣次郎さんが説かれるごとく、裁く側も一枚岩などではなかったのである。
 その象徴的な人物として、常に喧伝されてきたのがパール判事である。
 インド人判事パール氏は、この「東京裁判」を通して、日本が、国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けた。11名の連合国判事の中でただ一人、「この裁判自体が国際法に違反するのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法廷主義を踏みにじった復習裁判に過ぎない。故に全員が無罪である。」との法理論を展開した。
 さらに、裁判の体をなしていなかった無秩序な「東京裁判」では、11人の判事が一同に介して協議したことは一度も無く、結果、六つもの判決が出ているのである。
 多数判決となった六人組判決(米・英・ソ・中・カナダ・ニュージーランド)のほかに、パール判事の判決文があり、オランダ・レーリング判事は、廣田弘毅は無罪、他の死刑も減刑すべきことを、ドイツのナチスに対する諸兄に比して重すぎることから主張している。また、フランスのベルナール判事は、「この裁判は法の適用および法手続きにおいて誤りがある。」とこの裁判自体について批判しているのである。