靖国問題 6
東京裁判 4
戦犯のA級・B級・C級のクラス分けは、A級は平和に対する罪を問うたもの、
B級は捕虜虐待を命じたりした者、C級はそれを実行した者といった差異である。
その昔、何も知らず歴史にもあまり詳しくなかった頃、私は東条英機という
人物を訳も無く毛嫌いしていた。
理由はよく分からないが、恐らくは戦後教育の中でマインドコントロール
されて来たからであろう。
しかし、知れば知るほど(といっても、彼の人間性を推し量るような
資料は戦後の世の中ではあまり残されていないのではあるが…)、
彼が巷間に伝えられているような人物では全くないようである。
一般には、彼に対するイメージは、日本の運命を狂わせた悪質な戦争遂行者で、
自らを省みることもしないような人物といったものであろう。
それ故、蛇蝎のごとく忌み嫌われるのであろう。
しかし、彼の遺書には「今回の刑死は、個人的には慰められておるが、
国内的の自らの責任は死を以て償えるものではない」と述べて、
「しかし、国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である」
ただ、力の前に屈服させられたのだ、として
「此の裁判は結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ」
と述べている。
東京裁判において、東條の使命は一事に尽きる。
すなわち、一般によく言われていることではあるが、天皇を守ることであった。
戦後の混乱したした中で、もし天皇が戦犯とされた場合、
社会は混乱に陥り連合国としても容易には占領を続けられなかったろうし、
そう判断したからこそマッカーサーも天皇を戦犯に処さないと決したわけで、
その意を受けてアメリカ人検事キーナンも東條からの答えを引き出している。
キーナンは東條に、戦争は天皇の意思ではじまったのかと問い、
開戦時の天皇の「豈朕ガ志ナランヤ」との言葉をひいて答えさせている。
東條はよく天皇を守ったと言われている。今年の夏、すっぱ抜かれた天皇の靖国不参拝の事由。果たして、昭和天皇は本当にそのような意思表示をしたのであろうか?と思ってしまう。この間の事情をもっとも知る人ではなかったのか?
もちろん、絞首刑となった他の六人とても、裁判長のウェッブの意に沿って天皇を貶めれば、或いは命を永らえられる可能性は無くもなかったであろうが、板垣征四郎にしても、木村兵太郎も、土肥原賢二、武藤章にしても、そして昭和天皇の毛嫌いする広田弘毅にしても...
東京裁判については、この昭和天皇の「御意思」も含めて、
書き始めてはみたものの私には重すぎて、思いが先走りして、
いろいろなことが言いたくて、結局上手く纏まらない。
昨年発刊された下記の本は、東條について漠然と考え直してきていた私にとって決定的なものであった。
とりあえず、ご紹介して、ご参考になれば幸いである。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31574926&pg_from=rcmd_detail_2
中途半端で申し訳ありません。