靖国問題 8

 前記援護法により戦傷病者も法務死者も同等に扱われることになったにも関わらず、A級戦犯だけが合祀されていなかった。
 その間には、いろいろな経緯があったようであるが、A級の合祀には20年の時が経てしまっていた。
 ここに、中・韓に付け入られる隙を作ってしまっていたといえるであろう。
 原因としては、戦後の非常時も過ぎ、世の中が落ち着いてきたところにあるのではないだろうか。つまり、目の前に差し迫った危機感がなくなると、それまでのことを忘れたかのようにいろいろなことを言う人間が出てくるのは世の常であって、国民にも政治家にもいろいろな意見が出てくるようになる。
 おまけに、昭和44年からは靖国神社法案靖国神社を国家護持する法案)が国会で審議され、結局5年後に廃案とされたこともあり、神社側としてもA級合祀に及ばなかったのであろう。
 この法案には、青木一男が強行に反対したとされているが、青木はこの法案に英霊の合祀奉祭が明記されていないことについて反対したのであって靖国に対して反対したわけではない。
 そして、その4年後の昭和53年になってようやくA級合祀が実現される。
 A級合祀に尽力したのは厚生省の職員であるとは、所功氏の言である。詳しい考証を聞いたことは無いが、年末にお会いする予定であるのでその際に機会があればお聞きしてみようと思う。
 が、お聞きするまでもなく、その可能性が高いであろうとは推測できる。戦後、戦傷病者や戦犯に対する諸事務を果たしてきたのが厚生省なのであるから…。