大きな政府 ちいさな政府 5

 サッチャーは、79年に6年ぶりの保守党政権として登場すると、それまでの合意の政治から信念の政治への転換を図った。すなわち彼女は、福祉国家から自由な市場原理を原則とする自由主義国家となすことが、唯一英国を救済させる方法と信じていた。
 サッチャー革命とも言われる改革は、彼女が自由主義というゆるぎない信念で政権運営を行ったところに、その根幹がある。

 彼女以前の政権は、合意の政治のもと、完全雇用と高度な社会保障の維持を目指し、労組との妥協を繰り返してきた。
 サッチャーが就任してから80・81年はポンド相場が急上昇し、経済成長率はマイナスとなった。失業者はついに9.8%に急上昇し、インフレ抑制どころか18%にも達した。これでも、サッチャーはUターンを拒否。その中で景気はさらに悪化し、人々の痛みはますます増大し、支持率は23%まで低下した。この数字は英国で世論調査を始めて以来の低さだという。

 しかし、このサッチャー政権の危機を救ったのは、アルゼンチンとのフォークランド紛争での勝利であった。当時、このことは崩壊した大英帝国の最期のあがきのように感じたものだった。