何それ?

 昨日の中日新聞の社会面に読者の投稿記事のような囲み記事があった。
 記事は、二本あって、一つは福井県坂井市の63歳の年金問題に関るもの。もう一つは憲法九条に関る三重県四日市市の70歳の投稿であった。

 どちらに対しても、違和感があって一言言おうかどうかと思いながら忙しさにかまけて放っておいてしまった。しかし、一日遅れてもこんなことがまかり通って良いのかという思いから、後者に対してだけでも思うところを述べておきたいと思いPCに向かっている。

 誤解を受けないため全文を引用しよう。

 「あの第二次世界大戦から今日のような日本を想像できただろうか。平和の根底に憲法九条があるのではないか。日本は、大戦での多くの犠牲と引き換えに、九条という財産を得たと思う。
 戦後六十年、朝鮮戦争をはじめ幾度か米国に協力した。その都度、九条は日本人が外国人を殺すのを防いでくれたと思う。イラクへの自衛隊派遣では、九条がなかったら、イラク人を傷つけ、自らも傷ついていたと思う。この財産を末永く守っていきたいと思う。」

 というものである。この話=憲法九条が平和を守ったとの神話は、私の記憶では戦後30年頃、すなわち昭和50年代頃から耳にするようになったと思う。当時も何で???と感じていた。
 最前段の「今日のような日本を・・・」という気持ちは戦前戦後を生きてこられた世代の感想としては良く理解できる。
 しかし、若輩の私なりとも眼にしてきた歴史の中で、勝手に作り変えられ、世相の雰囲気の中で本質と違う“コト”に置き換えられてきたことをいくつも感じてきた。
 その一つが、この憲法九条が日本の戦後の平和に寄与したとの論である。

 果たして、このような事を真面目に考えて本気にしている人たちはどれだけいるのだろうか?物事を深く考えずにそのまま受け取るような人々(実はそのような人々が大多数なのかも知れない)は、すんなりそのままに受け入れてしまうのかもしない。

 憲法九条下に日本という国は、世界史上類稀なる歴史の舞台に置かれて、偶然にも平和をむさぼる状況にに置かれていたに過ぎないのである。簡単に例証するならば、第二次大戦後、世界は局地戦はあったものの、核の存在を基軸にして世界戦が起こらなかったということ。米ソ両大国の冷戦状態にあって、たまたま均衡が保たれ戦時体制に及び得なかったこと。さらに、好むと好まざるとに関らず、日米安保こそが戦後の我が国の平和を維持してきたこと。
と、単純化すれば言えるであろう。細かく言えば、さらにその論は補強できることは誰の眼にも明らかであろうが、明白なことは省略しよう。

 では、このような神話を皆が信じてしまった原因はどこにあるのであろうか?それは戦後の経済の成功にあると言えるであろう。惨めな敗戦から立ち直って、当時の言葉で言えば「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた高揚感!私なども、この状況を生きてきていながら、当時友人たちと一時期自身を失いかけていたアメリカの状況を哀れむような見方が多かったことを覚えている。そのような状況の中から生み出されてきた議論であったと記憶している。

 この国の社会のオピニオンリーダーで、人前に出てきて人々を引っ張っていこうとする人たちというものについては良きにつけ悪しきにつけ、状態としては好ましい存在といえると思う。しかし、何時の時代にも存在する、歴史の中に埋没して社会に埋もれて主義主張をいつの間にかソーシャルオピニオンとして定着させていく輩が常に社会に存在していることが懸念されるのである。

 私がこのようなことを言い出すと、直感的に右翼か?と思う人間も多いのも確かであろう。実は、そのような思想信条の話でもなんでもない当たり前の話であるにも関らず...である。

 似たような、モノの見方のすり替えということで言えば、いくつも行われてきた。それらは、特にわが国では有史以来初めての敗戦ということにより、それを「読み替えたい!」という意識から、素直に負けたり・・・とか、悲惨な記憶から眼をそらし、さらには読み替えて逆手を取るというような行為が繰り返されてきた。その一つが、この憲法九条の神話であろう。

 実は、戦後の出発時点からもそれはあり、今に至るまで脈々と生きているのが「終戦」との語である。ひいては「終戦記念日」になるのであるが、何を記念しているのであろうか?明らかに「敗戦」なのである。だから「敗戦の日」なのである。
 負けたという事実を認める勇気を持たず、悲惨な戦争が終ったと読み替えたのであろう。ある意味日本人らしいのであるが、このあたりが戦後処理について諸外国から非難される元凶となっているのではないだろうか。

 言い尽くせないが、我々は真摯に自らのこと、自らの歴史を考える必要があるのではないだろうか?その上では、憲法九条の存在意義はともかくとしても、現実問題として憲法九条が日本の平和を守ったなどという馬鹿げた神話を堅持しているようでは、何時まで経っても世界の孤児で居つづけ無ければならないのではないだろうか!?