何がほんとうなのか 15

戦争に伴う数々の愚行の中でも、中国における愚行は目を覆うばかりである。

この時代の中国問題を考える時、
その後ろには常にソ連の存在があったことを見逃してはならないであろう。

革命によって樹立された世界で唯一の社会主義国家は、
一国だけでは世界中の包囲網により存続しきれなくなることは
目に見えていた。

そこで組織されたのがコミンテルンである。
次第に、方向や手段は変貌していくが、
先ずはボリシェヴィキの呼びかけに応じて
モスクワに21カ国の代表が集まり、第一回大会を開き、
世界革命の実現を目指し、
ボリシェヴィキが各国の革命運動を支援し、各国に指令を出していた。


当初ヨーロッパにおける共産革命が目指されたが、
先進各国においては難しいとの判断から、
一転して標的とされたのはインドであった。

しかし、インドはイギリスの植民地であったから
イギリスのインド情報部が見事に機能し、
コミンテルンは莫大な資金と人的投下をしたにも関らず、
インドからの撤退を余儀なくされてしまうのである。


ついで、標的となったのが中国であった。
多くの先進国の利権の集まる中国に必ず革命を起こせ!
とはレーニンの遺言であったという。


軍閥の割拠するその当時の中国国内において、
コミンテルンは中国統一を目論む孫文に肩入れし、
ヨッフェと会談した孫文ソ連との間に「秘密協定」を結び、
悪魔の処方箋を飲用することとなった。

その結果、莫大な資金投入と大物工作員を大量に投入して
援助・指導していくこととなり、国共合作がなされるのである。


国民党と中国共産党が手を結んだこの危険な情勢に、
わが国の中枢は不幸にして何も気が付いていなかった。

折悪しく、国内は関東大震災があり、
または皇太子(のちの昭和天皇)の暗殺未遂が起こるなどして
内閣は崩壊を繰り返し、一切がまともに機能しない状態にあったのである。