FRB

暫らく振りの更新です。昭和展の撤収でへばってしまって以来、何故か更新出来ずにいました。申し訳ありませんでした。

本日のつれづれです。

今日、日本市場の開く前にFRB公定歩合を引き下げた。
これは、日本市場に配慮した円高(ドル安)対策なのであろうが、
その効果は全くと言ってなかった。
その一方で、日銀総裁の人事は迷走を続けている。
それに対して、シーファー駐日米大使は「金融政策のかじ取り役が誰なのか知ることは、国際社会にとって重要」と現状を批判した。
自分の国のことは差し置いて、言いたいことだけはよくも言えたものだ。

ところで、先日いつも行くピザ屋さんで、そのFRBが政府機関でないことを知らされた。
調べてみると、1913年に連邦準備法を根拠に、多くの上院議員が休暇中である12月23日に成立したものだという<専門外の無知を曝け出した形である(恥;)>。

その後、ブレトンウッズ体制がスタートしてからFRB財務省が協定を締結して、金融政策の独自性を持つようになったという。
その業務は、市中銀行の監督・金融政策・支払制度の維持・財務省債権の売買であるという。
金融政策の中身はというと、中央銀行としての記入面からの経済政策という。わが国で言えば日本銀行の行うことである。つまり、景気対策をはじめとして公定歩合準備預金制度を操り、マネーサプライにまでにも関る。つまり、通貨発行まで行うのである。それを、悪く言えば市中銀行の寄り合い所帯の親玉が行っているということである。
わが国では想像も付かないこと・・・
そう言われてみれば、アメリカは通貨は発行すれば済む、との言をよく耳にしたものだ。
歴代大統領の中には、通貨発行権FRBから奪取しようと目論んだ者もあったという。その一人が彼のジョン・F・ケネディとの説も・・・実しやかに語られているのである。

そのFRBと、彼のビルダーバーグ会議とが関係しているとの説も・・・
もちろん、共通するメンバーからしてもそうなのだろう。
そもそもビルダーバーグ会議は1954年、世界一の女性資産家ベアトリックス女王の父(プリンスベルンハルト)によって始まった会議で、ビルダーバーグの名前の由来は第一回目がオランダのビルダーバーグホテルにて開催されたことによる。
1997年には、ヒラリー・クリントンアメリカ・アトランタ近くのバイナイル・リゾートでのビルダーバーグ会議に登場している。
では、今の大統領選をひかえて、昨年5月にトルコのイスタンブールで開催された会議には誰が招待されたのか気になるところである?
なお、今年はどうやら5月5〜8日の日程でドイツはミュンヘンで開かれる可能性が濃厚という。