靖国問題

 いつも思うのであるが、戦前の反省からであろうか、日本人は愛国心を恥と思う世界で唯一民族になってしまっているのではないだろうか。そのくせ、バブル期にはいい気になって、経済の不調に喘いでいたアメリカを下に見るような風潮が随分みられた様な気がするし、いざ自分たちが調子が悪くなると全く自信を失ってしまい、滑稽な次第である。
 行政改革などというのは、バブル期にこそ将来に備えて行っておくべきだと周りに主張してきた。しかし、何の影響力もなく、当時は行政改革と言う言葉もなかった。不況になってしまってからは、かえって行政は予算拡大しながら、不要なもののみ整理していくべきではなかったのか。しかしながら、行政内部に入ってしまうと、財政当局は自分の周りの処理だけに意を尽くし、トータルでは何もものを考えていないことを痛感した。当然のことながら、これらのことは表裏一体のものとして考えていかなければならないわけだと今でも思っている。すなわち、行政の緊縮が、より民間を圧迫しつづけてきたわけであるから…。それでも、立ち直ってきた日本経済の底力もたいしたものだと思う反面、そのマイナス面として現在の格差が生じてしまっているわけである。
 小泉の改革については以前に書いたがhttp://d.hatena.ne.jp/MGriderA/20060312
この国に必要なのは、この国の持つ文化力を高め、自覚していくことであろうと私などは思っており、ゆゆしき事態が小泉政権下で起こってきたとは思っておりながら…、唯一彼のリーダーシップには感心してしまう。
 そして、彼は、最期くらいは8月15日に靖国参拝をすべきではないだろうか!?何しろ、彼の政権の中で最たる汚点が8月15日に参拝できていないことだと本人も考えているはずであるのだから…
 さらに、その後出てきた昭和天皇の意思の問題であるが、それが信用し得るものであれば、天皇たるもの、公式にあのような発言はあるべきではなく側近にいたものであるから知りえた情報であろう。
 靖国にA級を合祀するに至ったには、関わる人々のいろいろな恣意的な行動があったことは確かであろうが、従来天皇がみずからの意思を示したときがどれだけあったのでろうか?一般的には、2.26の時と、終戦の決断の2度だけであるといわれている。また、それで靖国参拝をやめるという行為をみずからの意思で決定するに至ったのであろうか?昭和の天皇を賛美する思いは多く聞かれるが、このような公の立場にあることをよくよく自覚し、帝王学を身につけた存在である昭和天皇における個人的な思いの発露などというものは通常世に出ないのであって、このような個人的なメモが表にでること自体がどうかしているし、公にされても構わないとして発言したものであるとすれば天皇というものの存在自体が疑問となる。
 メモの信憑性も云々されており、実は徳川侍従長の作為の可能性もあるなどともいう。
 いずれにしても、昭和天皇はそのような価値判断を下しても良い立場にあるのか?また、小泉が天皇の思いを「個人の考え」として処理しようとしていることにも問題があろう。天皇という立場は公的存在であり、「個人的な」等ということはあり得ないのである。
 いずれにしろ、今、問題にされているのは、A級に対する天皇の好き嫌いであって、このようなことを理由に公的存在である天皇靖国参拝をやめる理由にはならなかったはずである。昭和天皇がみずからを公的存在と意識していれば、正式にはこのような発言ができるはずも無く、メモが本物であったとしても私的に好き嫌いを口にしたものであって公にされるべきものなのではなかったはずである。また、その意味するところを考えるならば、今上天皇昭和天皇の過ちを補うべく靖国へ今からでも参るべきなのではないだろうか?
 家族や恋人とも別れ、天皇のために、靖国に祀られるとしてその命を散らしていった多くの若き英霊たちに対する皇室の責任は未来永劫つきまとうものであろう。今さら天皇の戦争責任などを云々するつもりも無いが、死んでいった者たちに対する精神的な責任というものは代が変わったとしても失われるものではないであろう。