この国の領土 9

フロントグリルを交換

 ところで、MGAのフロントグリルの替えが見つった。
ということで、早速交換。
 前所有者のNさんも捜したが見つからず、諦めてレプリカを着けていた訳で...
その意味からするとついていたのかも...。
 たいへん綺麗です...!
 大満足!!

−本題−

 韓国の竹島領有は錯誤に基づくものである。
 もともと、領土問題の発生は江戸期に遡る。
しかし、それは現在の竹島の領有問題ではなく鬱陵島に関するものであった。
 鬱陵島朝鮮半島から115kmの海上にある70Km2ほどの島である。
鬱陵島は西暦512年以来、韓国の支配下にある。
しかし、李氏朝鮮(1392-1910)は、税金を逃れて島に渡るものが
多かったことと、倭寇の襲来から島民を守ることを理由に
鬱陵島への渡航を禁じた。
 この無人島政策は1438年から1881年まで続けられた。
 17世紀初頭、伯耆国(現・鳥取県)米子の海運業者・大谷甚吉が、
暴風に遭い、無人島となっていた鬱陵島に漂着。
新島の発見と考えた彼は、帰着後、村川市兵衛とはかり、
元和3年(1618)、江戸幕府から鬱陵島への渡航許可を受け、
その島は「竹島」と呼ばれるようになった。
大谷・村川はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、
木材の伐採などを行い、両家の「竹島」経営は78年間続けられたという。
そして、今の竹島は当時は「松島」と呼ばれ、鬱陵島へ渡る中継地であった。
大谷、村川両家は、この「松島」の経営をも行っていた。
この「松島」(現竹島)が寄港地や漁猟地として利用されていた記録も残る。
江戸幕府は「松島」に対する渡航許可も明暦元年(1656)に出している。
竹島はむかし松島とかリャンコ島(西島・東島の二つの岩礁から出来ているため)
とか呼ばれ、鬱陵島竹島と呼ばれていた。
この歴史的経緯に対しては韓国からも異論が出されていない。
 元禄4年(1692)、鬱陵島に出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人と遭遇。
翌年にも遭遇し、安龍福と朴於屯の2名を米子に連行したのを契機に、
日本と朝鮮との間に紛争が発生したのである(竹島一件)。
 元禄8年(1696)、幕府は鬱陵島への渡航を禁止した。
朝鮮の漁民安龍福が鬱陵島・于山島(韓国では于山島を独島=現竹島
と解釈している)は朝鮮領であると訴えるため、伯耆国へやって来る。

 その後、1900年10月25日:大韓帝国勅令41号で鬱陵島を江原道の郡に昇格、
同時に石島(=独島?=竹島?)も韓国領とした。
 この石島というのが何を指すのか。それこそ、鬱陵島の東端に所在する
チュクト(竹島)を指すのではないか?この辺りは今一不明である。

 その後、明治38年(1905)には、明治政府が現在の竹島
島根県編入国際法的にも日本の領土とみとめられることとなった。

 しかし日本の敗戦後、GHQ竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に、
日本の行政権から外した。
 そして、昭和26年(1951)サンフランシスコ平和条約の締結により
竹島は正式に日本固有の領土であることが認められる一方、
旧朝鮮の島で日本の権利・権限を放棄する島として
鬱陵島済州島、巨文島があげられた。
 この条文の草案を手に入れた韓国は、この3島に加えて
独島(竹島)・波浪島対馬の3島の返還をアメリカに要求している。
 対馬は当然日本の領土であるし、波浪島は伝説の島であって存在すらせず、要求が受け入れられることは無かった。
 韓国の主張が認められないと知って、韓国は武力占領の挙に出たのである。
そして、昭和27年(1952)に韓国初代大統領李承晩が海洋主権を宣言し、
いわゆる「李承晩ライン」を設け、武力により実効支配し、
ラインの内側に竹島を入れ、竹島周辺海域の水産資源を得る事になったのである。
これが日韓の竹島問題の始まりである。
 当時、日本は敗戦の直後であり、GHQ支配下にあり国家の主権すら
容易に主張できるような状況にはなかったのである。

 韓国の歴史認識は為政者が変わるたびに変更されるものであり、
この竹島問題も為政者が変わるたびに自国に都合の良いように歪められて
きているのである。
 それにしても、日韓の竹島に対する温度差はどうだろう。
殆どの日本人が極最近まで竹島の存在を忘れ去っていたのではないだろうか。
少なくとも、何かの問題が起こらないと意識しないのではないだろうか。
 それに比べ、韓国は半世紀以上に亘って熱心に
かつ執拗に主張し続けてきているのである。この辺で、既に軍配は韓国に挙がって
しまっている感がある。
 韓国国民にとって、竹島=独島の領有問題は、決して譲れない民族のプライドをかけたものなのである。

 平成16年には韓国が竹島を図柄にした切手を発行し、
日本政府はこれに抗議している。

 昨年3月16日には、島根県議会が、竹島の日条例を可決し、
これに対抗して6月9日には慶尚北道議会が10月を独島の月とし、
日本との交流を制限する条例を制定している。

 しかし、日本政府がいくら日本の領土であると対岸から叫んでいても、
韓国は既に500トン級船舶が利用できる接岸施設設置し、
日本政府が抗議しても、さらに有人灯台も設置し、
独島への観光船も就航され、また韓国海警察庁武装警官が駐在している
のである。

 また、すでに日本海で漁をする日本の漁船は竹島には近づくことは無い。
そして、何よりも日本政府は、竹島の領有権を国際司法裁判所
委ねることを韓国に提案したが、国際司法裁判所への審判請求は
関係両国の同意が無ければ受理されないため、
韓国が受け入れる訳も無く、事実上泣き寝入り状態である。