―田中康夫の敗北―

 長野知事選で田中康夫が敗れた。このニュースを聞いていくつかのことを思い出した。
 文学的才能等は別として、基本的に私はあの手の人間は苦手である。
であるから、普段、討論番組等に出ている時は、まあマシな事を言ってはいるな、とは思っていながら、長野県知事に立候補と聞いた時には、いったい何を考えているのか!と思ったものである。
 ところが、長野県民は、田中康夫を選択した。何故!?という気もありながら、
その後の田中康夫が気になっていた。
もちろん、次から次へと問題を起こしてマスコミを賑わしていったのであるが、
それ自体彼の作戦でもあり、飛びついたマスコミは道化であった。
ところが、それらマスコミで取り上げる彼の一面とは違い、
一つ一つ行っていったことの正しかったことは誰もが感じたのではないか、
などと思っていた頃、仕事で信濃美術館へ行き長野市内に宿泊することがあった。

 出張での私の夜の行動はだいたい決まっている。
夕暮れになると必ず街へと繰り出す。
ホテルは長野駅の南口の方にあり、駅に向かって新しく整備された立派な道が走り、途中、長野朝日放送のビルが聳え、駅から歩いて15分位のところであった。
昔は、長野には何度も来たことがあったが今回は久しぶりであり、
いつもは善光寺のある北側にしか降りたことが無かったため、
こちら側が以前どうなっていたかは知らなかった。
整備された道を歩いて行きながら、殆ど人に出会わないのが気になった。
駅前に着くともっと人がいない。
そして、整備され一新された長野駅に入っていくと
そこには人が溢れかえっていた。
すぐさま北側へと抜けて、飲食街を歩いた。なかなか感じの良い町並みである。
初めて飲む街ではいつもするように30分位は街を観察しながら店を物色して歩き回る。
こうすると、まず、はずれの店に当たることはない。
もし、外れ出ればすぐに出て、次に目を付けていた店に行く。
これで、後悔する夜を過ごした記憶はない。
この晩も、一発目で満足いく店に当たり、その後、北口の街を散策しながら
土産なぞを買い込んでホテルへと気持ち良く歩いて帰る。

 これもいつものことであるが、往きとは違った道を選択する。
この時は、古い町並みのありそうなところを選んで歩いた。
ところが、この古い住宅街、これと言って特徴のあるような町並みではないのだが、なんだか妙である。
とても、静かなのである。
人の生活の確かな感じはあるのだが、電気は消え、テレビの音すらせず静まりかえっている。
9時かそこらに、である。
この一角を抜けて、表に出ると、立派な通りに極疎らに車が通っていく。
別の世界に出てきたような感がある。
結局、この一角はオリンピックにあわせて再開発された町並みから取り残された住宅街だったと理解した。
と同時に、田中康夫が指摘している長野県政の問題点がここに集約されているように感じた。
であるから、その後も田中康夫の動きを見続けてきたが、
彼には大過はないどころか、良くやっているように思っていた。

 しかし、今回、長野県民は田中康夫を選択しなかった。
よく言われているように偶々時が悪かったのか?集中豪雨のためだというのか?
いずれにしても、長野県民はもう一期は田中康夫に県を委ねるべきではなかったのだろうか?
早くも、長野県に蔓延る古い部分がすでに動き始めているのではないだろうか?