秋篠宮に男児

嘗て、私は皇室の来訪をいろいろな立場で3度経験した。一度目は、高松宮。これは何ていうことは無かった。ただ、いろいろな人から聞いていたように、あまりお行儀の良くない宮様であっただけである。普通に一人の要人が来たという感じであった。岸信介などの場合と何ら変わらなかった。
2度目が現皇太子。この時はまるで違っていた。職員や委託の従業員まで全てが調べ上げられ、何日も前から皇宮警察が泊り込み警備する。道にはやたらに重たい鉄柵が巡らされ、車は入り口のすぐ端まで着けられた。その上、せっかくのシースルーエレベーターはシールで目隠しされて外からも中からも見えないこととなる。館長がついて案内する。その時間たるや、あっという間の出来事であった。
昔、弟がジュピタートリオの久保田良作についてヴァイオリンを習っていた。久保田良作は、浩宮のヴァイオリンの師である。そのこともあって、浩宮を見る機会は昔から良くあった。つまり、発表会となると当時の皇太子夫妻(現天皇・皇后)に伴われた浩宮が観にやってくる。会場に入る前にアナウンスがあり、皆が立ち上がってお出迎えする。そして、その少年は結構間近に見る機会のある存在であったのだ。それが、大人になって久しぶりに見る機会を得た時は、皇位継承順位第一位の皇太子として周りを厳重に警備されて、少年の頃の感じはなく、それなりの威厳をたくわえ結婚して間無しの婦人を従えて、私の前を通り過ぎた。そこには、随分と遠い存在になってしまったものだとの思いが残った。
次が、秋篠宮である。この時は皇太子とはまるで違っていた。皇太子の時のように詳しく調べられることがなかったばかりか、ホテルから徒歩で歩いて来ることとなった。そして、あろうことか、県が名物だからと言って用意した「てこね寿司」をエントランスで立ったまま食べさせられていた。勿論、エレベータにはシールなどは無い。皇位継承順位がひとつ下がるだけでこんなにも差があるのかと実感させられたのだった。
 ところで、小泉の皇室改革。郵政の問題が一段落ついた時点で、小泉は「次は皇室改革だ!」と述べたと言う。天皇に取って代わろうとした人物は何人か存在する。第一は、直接天皇となろうとした道鏡、そして准后となった足利義満。そして、あまり知られてはいないが、田中角栄はハワイで米大統領ニクソンと会談した際、国王としての待遇である21発の礼砲で出迎えられる。直接に、天皇に取って代わろうとしたわけではないが、政権の中枢でこれ以上何もないほどの権力を手中にした角栄にとってはロッキード事件が発生するまでは、藤原道長の望月の和歌を詠んだような心境にあったのであろうことは想像に難くない。道長の場合、角栄ほど単純でもなく、もっとナイーブでありセンシティブであり、もっともが天皇に取って代わろうとしたわけでもない。あくまでも、天皇があっての摂関であった訳で、その地位は外戚として自らの娘の子どもに恵まれたことに由来していることを充分に意識していたのである。角栄の場合は、天皇の存在などは全く意識の外にあって、その意味も知らず、考えもせず、礼砲を受けたのであろう。
 しかし、皇室そのものの制度に手を入れようとした小泉内閣。これまでに、制度そのものに手をつけたものなどは無かった。その言動には、政治課題であった郵政民営化を成し遂げた驕りが明らかに見えていた。そこで、天皇制度の護持のため女帝を認めるとの提言が小泉内閣に提出された。
 昨年十一月、「皇室典範に関する有識者会議」は、歴史上初めて女系による皇位継承を導入し、継承順位については長子を優先する皇室典範の改定を提案した。こうなりそうな世論に行動したのが秋篠宮三笠宮である。秋篠宮は、子づくりに・・・。三笠宮は、女帝反対に・・・。この二人は、共に皇籍離脱を公言した仲間でもあるが、秋篠宮三笠宮の影響を強く受けているという。女性天皇が認められることになるとどうなるか。秋篠宮皇位継承順位が一つ下がって2位から3位になるのである。ということは、事実上皇位継承はなくなるということになるのである。
 それにしても、もう何年も子どもをつくっていなかった夫婦が何故急に子づくりに励みだしたのか。何の処置もせずに妊娠できるのだろうか?もし、女児の誕生だったらどうなっていたのか?産み分けは?など疑問が駆け巡る。
 皇室制度の存続のためには本当に喜ばしいことではあるが、その後ろにうごめく数々を想像するだけで、そら恐ろしくなる。これも、悠久の古代より繰り返されてきたある種の「文化」なのだろう。それにしても、どんなことでも慎重には慎重を期して発表をする宮内庁が、今回はあっさりと発表したものだと思う。しかも、女帝論議が最高潮に盛り上がり、今にも法案が提出されようとしているベストのタイミングで・・・。女帝論議は一気に消え去ってしまった。
 結局、問題は先送りにされた。あと数十年はその心配が無くなったからであるが、何ら問題は解決はしていない。もっとも、私は女帝が認められるようになると、果たして皇室制度は将来的に存続できたか疑問であるとずっと言ってきていた。かといって、解決方法は男児が生まれることしかなかったのも確かである。
 現在の皇室典範が制定された時のセーフティーネットは側室子を認めていたことであるから、現代では通用しない。果たして、恒久的な皇室制度の保全というのはあり得るのであろうか。
 私は、皇室制度について人に問われれば、不敬だという者もあるが、無形文化財であるから保全するのが当たり前だと答える。とても、そんなものではなく、一つ一つの物事が、超歴史的・伝統的文化の塊なのであるが、そういうと一般の人にも分かりやすい。また、皇室は、国民でもないから国民としての権利も義務もないことを知らない人も多いようである。勿論、国籍も無い、人権も無い。
 果たして、日本人はこの制度をどのように位置付け、将来どうして行くのかということをまず先に決めていかなければならないのではないだろうか。宮内庁が目指しているような英国王室のような存在でよいのであろうか。わが国固有の文化、まさに現憲法のいう「象徴の統合」なのか。その位置付けをきちんと決めた上でその保全を決めていかなければならないのではないだろうか。それがないと、いつまでも喉元過ぎれば・・・であって根本的な解決には向いては行かないし、今回のようにギリギリのところに来て危険な結論を導く議論の展開する余地を残してしまうのではないだろうか。小泉が、有識者会議のメンバーに歴史学者を入れなかったのは,
自分なりの方向性を目指したためであろうし、そのような人物が今後出て来ないともいえないのである。
 それにしても、皇太子の心労たるや如何許りであろうか。自らの帝王としてのプレッシャーに加えて皇太子妃の問題(真実は分からないが、単に病というばかりでなくいろいろな問題点が指摘されている。さらに、あることないことも・・・)、それに加えて今回の問題。ヒトとしてプレッシャーに耐えて、破綻を来たさずにきていること自体に、年下ながらに感服するばかりの存在である。