江戸あれこれ 6  初物食い

 江戸っ子たちは「初物を食うと七十五日長生きする」といい、
茄子・胡瓜・鰹・白魚・豆もやし・葱・独活などの初物に熱狂した。
なかでも「宵越しの銭は持たぬ」の職人気質の気風は、
珍しいもの、うまいものに惜しみなく浪費する風潮となり、
初物食いに走ることになった。
初物の代表は初鰹にとどめをさす。
初物はいずれも高価だがとくに初鰹は、庶民の見栄の突っ張り合いで
ますます高価となる。
 文化9年(1812)には、こんな記録が残っている。
3月25日に魚河岸へ入った鰹は、数は合計で僅か17本、
そのうち6本が将軍様へと献上され、3本が料理屋の八百善、
8本が市内の魚屋に売れそのうち1本を三代目中村歌右衛門が3両で買っている。
1両が今のお金で3〜5万円位といわれているから、
長屋住まいの庶民には、おいそれとは手の出せない金額である。
それでも「女房を質に入れても・・・」などと粋がるヤツもいた。
 長屋で棒手振(ぼてふり)の魚屋が売りに来る頃になるとだいぶ安くはなるが、
それでも1万円ちょっとはする。
しかし、それから僅か3〜4日もすれば、刺身で1人前1〜2千円と
ぐっとお手頃になるのである。
 鰹ほどではないが、他の野菜などについても同じようなことが起こる。
これは幕府にとって好ましいことではないので、
寛文5年(1665)に人気のあるもの30種について
販売期間を定めて初物を規制した。
 しかし、これがかえって初物食いの目安とされることとなってしまったのである。


 ところで、ここのところ、連日、仕事がたいへん忙しくなってきている。
 先日、図録の山が来て、それを越えて少しホッとしていたら、
すぐさまその第二波・第三波がやって来て、
最終波を越える日に、ディスプレイの山がやって来た。
 毎度ながら、忙しさは重なってくる。うまくは分散出来ないものである。
 でも、少しここで一段落?
 次の山は、展示作業...、ライティング...かなあ!?
 ちょっと、変わった浮世絵展になりました!