大きな政府 小さな政府 2

 田中角栄は総理就任の直前に『日本列島改造論』を出し、
ベストセラーになった。
 私としては、それまで次々と破壊されていく遺跡の数々に
腹立たしい思いをし、批判的であったのを思い出す。
 今の、歴史家としての私の原点であったように思う。

 これを読むと角栄が、いかに多くの議員立法を成立させて
列島改造論にまで漕ぎ付けてきたかが良く判る。
角栄は、道路整備こそ、過密と過疎とを同時に解消する
地域間格差の解消法と考えていた。
 その結果生み出されたのが、例の道路特定財源である。
 さらに、有料道路である高速道路を建設し、道路収入によって次々と高速道路を建設することとし、大都市からは工場と大学の建設を原則禁止することとした。
 そして、5回に亘る「国土の均衡ある発展」を目指す全国総合計画、いわゆる「全総」の改定を行い、都市圏からある程度離れた地域に開発拠点を配置し地域権の都市基盤整備を目標とした。しかし、これが代表的な財政における金食い虫となっていったのである。

 これらのことを行うため、角栄は財政に対する考え方を一変させていった。
 その一は、財政の先行的運用である。それまでの財政の考え方が、実績主義的なものであったが、この先行運用によって現世代による負担だけではなく未来の世代にも負担をも考慮して負担を求めるものであり、現在問題にされている子孫への負担の問題の端緒がここにある。そして、角栄ロッキード事件で失脚した後も地方配分が傾斜した公共事業は増大し続け、’86年度まで財政赤字が継続していった。
 その二は、税制の積極活用である。いわゆる「企業追い出し税」であり、人口30万人以上の都市で床面積1,000平方メートル以上ないしは従業員100名以上の事業所にだけに課せられる「事業所税」である。その反対に、過疎地帯に立地する企業に対しては固定資産税を25年間免除し補助金も支給することとした。

 そのほか、3本の本四連絡橋や9,000kmにわたる全国新幹線網、リニアモーターカー、10,000kmにわたる高速自動車道路網など、角栄の影響力の今に至るまで存在することに驚かされるばかりである。

 以上のようなことから、日本の政府は極端に大きな政府へと変貌して行ったのである。そして、高校の時、とある教師が、日本という国はソ連などからみれば確実に資本主義国と見られるであろうが、アメリカから見れば社会主義国に見えるであろう、と言っていたことを思い出す。今、経済学者の多くが、角栄の創り出した政府のあり方を日本的社会主義革命と位置づけているのも頷けるところである。