何がほんとうなのか 13

気分を少し変えてみたいと思いました。いかがでしょうか?
タイトル前の>>を縦にするとシトロエン
http://www.citroen.co.jp/top.html...なんってね!
マイ・エグザンティア
dia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2
今年も車検を通すことになり、今入庫中です。

来年で10年!すでに14万キロ間近!
未だ嘗て6年目(5年と数ヶ月)までしか
一つの車に乗ったことの無い私にとっては、こんなに長いこと乗った車は初めて、
脅威的な数字です。

完全にはまってしまいましたね!

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


さて、年々、戦争の記憶も風化していく中、あの戦争をどう評価するか!
我々にとって、この国の行く末を考えて、
今考えておかなければならない大事な問題ではなかろうか。

基本的な私の立場として、誰しもが避けようとしていた
対米開戦に踏み切ってしまったというのは、
如何にも愚かな選択であったと考えている。

しかも、その後も数々の愚行を繰り返し行った結果の戦争であると考えている。
特に、日独伊三国同盟の締結は、日中関係の泥沼化と
アメリカの参戦を導引するという結果につながった
という意味からいって、最たる愚行であったと言えるであろう。


その結果、ルーズベルト政権は「最初の1発を日本に撃たせる」を合言葉に、
わが国に対して徹底的な経済制裁行うところとなったのである。
ただ、この愚行が結果としては、
その後のアジア諸国の独立を促すこととなったという面も
見逃せない事実ではある。

私は思う。あの戦争は悲惨な戦争ではあったが、
決して邪悪な戦争などではなかった。

一部の指導者によって引き起こされた愚かな戦争ではあったが、
国民にとっては正しい戦争として信じ、戦い通したものであった
というのも事実であろう。


決して、ドイツにおけるホロコーストのような邪悪なものを伴ったものでは無い
と言えるのである。
南京事件についても、その規模の大小の問題や
存否の問題など全てにおいて、
ホロコーストのような政治的・思想的な背景のあるような
ものでもなんでもないのである。
非戦闘員を巻き込んだという意味からは非難を受けざるを得ないであろうが、
アメリカやイギリスが日本やドイツに対して行った
無差別絨毯爆撃等の比となるものでもあるまい。

ましてや、自ら作り出した原爆を、その威力の実験のために、より効果の高い
環境を考慮した上で(即ち、絨毯爆撃と同じ考え方であるが、如何に効率良く殺戮できるかである)、投下するなどの残虐行為は言語道断、許されるべきことではあるまい。

このことについて、わが国は何故か明らかにしようと
してきていないことについては、全く以て腑に落ちぬところである。
これでは、アメリカのポチと称されても仕方が無いのではないだろうか。
正すべきは正すべきなのである。

ピカソの『ゲルニカ』などは、
このことを明らかにして、世界的に評価されているところである。

これらが、瓦解した安倍政権の提唱した、戦後レジュームからの
脱却出来ると期待したところなのであるが...!