何がほんとうなのか 14

彼の愚行により導かれた戦争の真の問題点は、中国にあった。
対中問題は今も昔も、わが国にとっては、
常に意識していなければならない重大問題なのである。
しかしながら、戦後の長い間、田中角栄が慌てて訪中するまでの間、
日本人の多くが意識していなかったのではないだろうか。


かつてわが国は、中国に対しては、卑弥呼親魏倭王の時代から始まり、
白村江の後は都を遷し、博多湾には空前絶後の規模の水城を築き、
大野城をはじめとする山城を点々と築き、
来るべき事態に不退転の覚悟で対処しようとしたのである。

二度の元寇に至っては、多くの犠牲を払いながら、
神風と称せられた台風に助けられながら、元寇の防塁を築き、
再来に帰したのであった。
結果としては、再びの神風に救われたわけではある。

細かなことをいうと、まだまだあるが、最も大きな問題となるのは
わが国が、中国大陸に利権を有していた時のことである。
大陸に利権を有することは、今日的観点からすると理解しがたいことかも
知れないが、当時の世界的常識からすると至極当然のことであり、
イギリスをはじめ、フランスやアメリカも利権を有していた。
何ら世界的理念に比してもとることではなかった。

現実には多くの邦人が満州をはじめ、各地に居住して活動を行っていたのである。
危機的な状況になったのは、これら邦人の大変な数が被害を被ったことである。

今、現在、彼の漢口事件や
南京事件http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%281927%E5%B9%B4%29の、国民革命軍や中国人暴徒による
大規模な外国人居留民に対する虐殺・暴行・略奪事件をどれだけの方が
記憶されているであろうか?

先年、中国国内でのサッカーの試合に際して、選手をはじめ、
邦人に危害が加えられた折の、中国という国のあり方に憤懣を抱いた方も
多かったであろうが、私は彼の事件を思い、中国人の体質に身の震える
思いがしたのである。
しかし、この残忍な事件の背景には以前にも少し述べたが、
コミンテルンの存在があったのである。