昭和展 4

黒自転車

黒自転車

黒くて重た〜い自転車

この重たい自転車、中には35kgにも及ぶものもあったといいます。
で、これらを、実際に仕事で使うので実用車と呼んでいました。
それに対して、女性も乗るので軽い自転車は軽快車と呼ばれていましたね。
30年代の頭の方で、子ども用の自転車もあったかどうか記憶にありませんが、
40年代に近づくに従って子ども用の自転車も充実して来て、40年代に入ると私の弟などは
「電子フラッシャー」(スイッチで右へ、左へ、曲がる方向をライトの点滅で後方に伝えるものです)付の自転車に乗っていましたね。

当時は、自転車は道具として使うので、使っていれば壊れてしまいます。
だから、今よりもず〜っと大事にしました。
それでも壊れたらその部分だけ交換して、部品がなくなったら諦める(でも、部位にもよりますが、簡単なものなら作っちゃうという器用な人もいましたけどね)。
今じゃ全く逆ですよね。自転車を買いに行ったとき自転車を持ってこれは重いからダメ・・・。
昔は逆に、軽いのは弱いからダメ・・・となったのです。実用車が出た頃は頑丈さで選んだ・・・。
丈夫さ、壊れないというのが一番だったのですね。


自転車関係のデータをみていますと、昭和30年代の国内の生産台数は昭和20年代から引き続き増加していたようですが、昭和35年以降横ばいが続くようになりました。

これを車種別に見てみますと、それまで自転車の中核を成していた荷物運搬を目的にした実用車の生産が昭和35年から減少を始め、昭和39年には軽快車に逆転してしまっています。

昭和30年代の頭に、子ども用自転車はあったのだろうか。
もしあったとしても、まず持っている子どもなんか滅多に見なかったのではないでしょうか。小学中学年位になると、大人の自転車に乗るようなことがありました。
あるいは大人の自転車で遊んだと言った方が正しいのかもしれませんが・・・
大人の自転車と言っても、実用車ですから現在の婦人用自転車みたいに、ハンドルとサドルをつなぐフレームが曲線で下の方で繋がっていれば、跨ぐことが出来るのだが、それが出来ない三角形の直線の自転車ばかりでしたので、当然、大人のようにサドルに乗ってペダルを踏む事は、身長が足りず出来ませんでした。
そこで、子供達の考えた大人用自転車の乗り方は、「三角乗り」だったのです。
三角のフレームの中に片足を入れ、向こう側のペダルに乗せる、ペダルを一番低い位置にして足を乗せる、
ハンドルを握って、バランスを取りながら、もう一方の足を手前のペダルに乗せて体重をかけて踏み込む、
そして変形の立ち乗り状態で乗る、これが「三角乗り」でした。
このタイミングの取り方や、自転車全体のバランスのとり方が、子どもには大変難しかったですね。
大人たちが自転車を使っていない時に練習するのですが、自転車が反対側に転んだりして、本当に体で覚えたという感があります。
少し向こう側に傾けて運転するのが、三角乗りのコツだったのですが、向こう側に傾けるというのが出来るまで、しばらく時間がかかるのでした。


現代では、年齢・体格に合わせて細かく用意された各種のカラフルな
子供用自転車が、店頭に並んでいますね。「三角乗り」は、
その時の身長でなければ乗れない過去の芸となり、忘れ去られ、
死語となってしまいました。

 http://www.city.yokkaichi.mie.jp/museum/tenrankai/071222.html